マツダ宇品工場車突入事件

「なぜこんなことを」工場に悲鳴、憤る従業員:Yaooニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100622-00000463-yom-soci


マツダで発生した事件にはいろいろ考えさせられる。ちょうど昨日にお金と自殺に関する考えを書いたところだったので、それと重なる部分があります。


まず、運転好きな人の中ではマツダ車は運転しても楽しいし車の性能が良いという噂を聞いていたのでより残念です。


さらに、二年前の6月8日に秋葉原歩行者天国で発生した事件がようやく人々の記憶から薄れて来て、ようやく秋葉原歩行者天国が復活しそうというこの時期にまたこんな事件が起こってしまったことが残念でなりません。



秋葉原の彼はトヨタ、そして今回の人はマツダ。自動車メーカーというのが象徴的だ。アメリカでいうところのデトロイトや映画グラントリノのようなことが日本で現在進行形で進んでいるのだと思う。つまり自動車産業はもう日本では終わりかけている産業なのだということだ。終わりかけているというよりも変化を求められている、との言い方の方が適切か。


これらの事件を起こしてしまった犯人達に対してもちろん絶対に非難されるべきだし決して許されるものではないが・・・しかしそうであっても頭では理解できても犯人達に対し強い同情と共感を禁じ得ない。
もし自分の場合だったら無差別殺人ではなく自殺を選ぶだろうが・・・ひょっとしたらこれは、これがこの時代・同世代が共有している共通意識なのではないか?と感じている。


しかしそれならばなぜ両方とも被害者はおよそ無関係で無差別な人達なのだ?
それほどまでに僕らの世代は疲弊しているということか?


いったい僕らの世代はこういった一連の事件を背景に何を生み出すのだろうか

次世代に対してこんな事件だけを残して終わったのでは僕らの世代の生まれてきた意味が悲しすぎる。