岡田斗司夫「オタクはすでに死んでいる」


オタクはすでに死んでいる (新潮新書)

オタクはすでに死んでいる (新潮新書)

ここ数年自分も違和感を感じていたので
岡田斗司夫「オタクはすでに死んでいる」を読んでみた。

なるほどなぁ、と納得できる部分もあり、
それはちょっと言いすぎかなぁ、と思うところもあったけど、ほとんどは賛同。

時代とともにオタクの幅が広がりすぎて旧来のオタクの定義や共通認識が通用しなくなった、ということだと思います。
オタクといっても細分化が進みすぎてもうオタクという一言ではくくれなくなってしまった。


個人的にはオタクということばに対して「作り手」、「送り手」側という意味にとらえていたので、
そういったものの「消費者」のひとりだった自分は、いつかオタクになりたいなぁ、
けれどオタクの人たちのクオリティや情熱にはとても追いつけないなぁ、
とオタクと呼ばれる人たちに対して尊敬と畏怖の念を持ったものです。

そういう意味でいま一般に言われているようなアキバ系オタクにはなんか違和感を感じるし、消費しているだけでオタクって名乗れるのかなぁ、というかオタクってたしか認められるもので自己申告制だったっけ?と思ってしまいます。


みうらじゅんが最近よく言っていることで「サブカルは世代だった」、という言葉があるんですがそれがそのままオタクにもあてはまるように思います。

たぶん自分の世代くらいまでで旧世代のオタクは終わった。

これからの時代はオタク新人類か、なんか新しい言葉が作られるか、オタクという言葉が使われなくなっていく、と思います。